井上さくら の トキタマ日記

横浜市会議員 井上さくら のブログです

市民の財産「教育文化センター」なぜ売るの!?

市民の財産「教育文化センター」が売却されようとしていることをご存知でしょうか?

「教育文化センター」はJR関内駅にある、横浜市で唯一、子ども達が発表などのために優先的に使える大ホールや教員研修機能、教育総合相談センターなどが入った大きなビルです。

(写真左手に関内駅の改札口、目の前は大通公園

2011年の東日本大震災での影響を理由に閉鎖され、ついに来年には民間へ土地・建物ごと売却される方針が出されました。
土地価格は約29億円、そこから建物の解体費用として最大約11億円を差し引くとしているため、一等地にありながら破格の費用で貴重な市民の財産が売り払われようとしています。

今年最後の本会議となった12月19日、私はこの売却のための議案に反対を求めて討論しました。

その録画が市議会のホームページにアップされました。


http://gikaichukei.city.yokohama.lg.jp/?tpl=play_vod&inquiry_id=6145

なぜ、貴重な市民の財産が簡単に売られようとしているのか、
本当にこのまま手放して良いのか、少し長いですがお聞きいただければと思います。

以下に、討論原稿も載せておきますのでご一読いただければ幸いです。

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私は、市第78号議案「横浜市教育文化センター条例の一部改正」に反対の立場から討論いたします。

この議案は、改正の趣旨として明記されている通り、「教育文化センターの解体を含めた土地の売却に伴い、公けの施設として設置されている教育文化ホールと視聴覚センターを廃止するため」条例改定しようとするものです。

教育センター、通称教文センターとして親しまれて来たこのセンターは、ここ議会棟からも見えるJR関内駅の駅前にあり、大通公園に面した環境・交通至便の一等地にあり、昭和49年の開設以来、児童生徒の発表、教職員の研修、そして、市民ギャラリーは市民の書画や絵画などの展示場として、長年多くの人々に利用されて来た重要な教育施設です。

しかし、6年半前の東日本大震災による被害を理由として市民ギャラリーや事務所機能は移転し、文化ホールは閉鎖となりました。
教職員の研修や教育相談は民間ビルの床を借り上げることで、かろうじて一部機能を存続したものの、縮小・分散する形となり、本来のセンターと言える状態では全くなくなってしまいました。

日々子ども達の教育の現場で奮闘されている校長先生たちによる「校長会」という組織があります。
この校長会は毎年、様々な教育課題についての提言を教育長に行う「提言書」を教育長あてに提出されますが、その中で、小学校校長会、中学校校長会、高等学校校長会の共通提言として筆頭にあげているのが「教育文化センターの早期設置」という項目です。
その中で、教文センターは単なる研修や行政機関にとどまらず、「大都市横浜で先進的に取り組んで来た教育活動のシンボルであったこと」や、「市民の学びの拠点であり児童生徒の貴重な発表の場であった文化交流のセンター機能を果たしていた施設の閉鎖は横浜の社会教育上も大きな損失だ」と訴えています。
特に、教育文化ホールを失った事により、子供たちの学習成果を発表する場の確保に大変、苦労されています。
公会堂やホール施設へ教師が電話かけをし、抽選に並び、結局横浜市内で見つけることができずにお隣の川崎市横須賀市に貸してもらって何とか発表をしているという現状に、川崎市横須賀市は、内心あきれているんじゃないでしょうか。

政令指定都市の中で、教育センターを持たないのは横浜市だけであり、その事で教育現場に、本来必要のない大きな苦労を強いていることは国際文化都市などと自称する横浜市として、恥ずかしい事態です。

市長は、議案質疑の際に、この現状について問われ、「多様な機能を備えた新たな教育センターは必要」と答弁されました。

ところが、新たな候補地がある訳でもない、いつまでにという目処もない、整備手法もこれから考えるとのことです。
おかしくないでしょうか、本当にこの現状を憂い、何とかしようと思うなら、なぜ、現在教育委員会が所有しているこの教文センターの土地を、教育委員会から取り上げ、みすみす民間売却するのか、市長答弁と議案の目的に整合性が取れていません。
明らかに齟齬が生じています。

なぜこのようなことになっているのでしょうか。
それは、本市が一貫して教文センターという重要な教育施設の保全を怠り、教育への必要な投資を軽視する一方、教文センターが建つ関内駅前の一等地に対する開発圧力が高まり、売却によって安易な現金化が可能になり、合わせて関内駅周辺から本市の教育機能を追い出そうという、教育や文化とは全く相容れない考え方が横浜市政を左右しているからです。

このことは教文センター用地の経緯を見れば明らかです。

教文センターの今の惨憺たる状況について、東日本大震災で壊れたのだから仕方ないじゃないか、というご意見があります。
常任委員会での資料でも「東日本大震災の影響により建物に被害があって、移転、閉鎖した」と書かれています。
しかし、それは正確な経緯とは言えません。
教文センターに耐震性の問題が生じたのは、6年前の東日本大震災ではなく、約23年前の阪神淡路大震災の時です。
1995年の阪神淡路大震災では、いわゆる旧耐震の建築物に多数の被害が出たため、その年のうちに、国は「建築物の耐震改修の促進に関する法律」耐震改修促進法を施行し、旧耐震の建築物は積極的に耐震性調査や補修を進めることとされました。

昭和49年に建設された教文センターも、新耐震基準を満たしていない建築物として、いち早く補修すべき建物になりました。
実際、この耐震改修促進法施行の翌年に教文センターの耐震診断調査が行われ、その結果、Is(アイエス)値は0.26、耐震性能ランクではもっとも低く「地震の振動及び衝撃に対して倒壊し、又は崩壊する危険性が高い」Aランクとされました。
それが、平成8年、1996年のことです。

21年も前に「地震で倒壊、又は崩壊の危険性が高い」という重大な調査結果が出たのに、その後、横浜市はどうしていたんですか?
驚いたことに何もしていないんです。
耐震調査してから10年後の平成18年、国が耐震改修促進法を改正し、数値目標を盛り込んだ計画策定が義務付けられると、ようやく、教文センター耐震補強基本構想が出されます。
しかし、これもまた、基本構想を作っただけで、何の耐震補強もしなかった。
3年後の平成21年にもう一度「基本構想その2」というのを出して費用の試算などをしたけれども、実際の工事はやはり、しなかった。
そうこうしているうちに東日本大震災が来て、大きなダメージを被ってしまったんです。

子ども達が集まる施設について「地震で倒壊、又は崩壊の危険性が高い」と判断しておきながら、17年間耐震工事をせずに使わせていたことにゾッとすると同時に、これは壊れるべくして壊れたと、むしろ、横浜市行政の怠慢によって、市民の貴重な財産が壊されたのだと、思います。

この東日本大震災のあった2011年、震災の直後に「関内・関外地区活性化推進計画」がだされています。
市庁舎の移転によって関内駅前の市庁舎用地を起爆剤にして関内駅周辺開発を進めようとする計画です。
この計画からすれば、教文センターが震災で被害を受けたことは、災いであるより、むしろ「渡りに舟」だったのではないでしょうか。
実際、この年の9月に、林市長も出席して行われた「横浜市経営会議」で、教文センター機能の段階的移転、そしてホールについては今後も必要ないものとして廃止を決定しています。
市長の現在の認識とは、おそらく違っていたということなのだろうとは思います。

しかし、教育活動への大きな弊害が明らかになり、校長会など学校現場から悲鳴が上がる中、改めてホールを含めた教育センターの再建が議論になり、教育委員会としての最後の抵抗が試みられました。
それが3年前、2014年です。
市有地について特定の用途を廃止する場合、所管局だけで処分方針を決めずに、他局を含めた利用意向を全庁的に確かめて進めるという資産活用のルールがあります。
教文センターの土地についても、2014年12月に利用計画の有無について財政局が庁内照会をかけ、これに対し、教育委員会は、教育センター再構築に向けてこの土地を候補地の一つとするとして、手をあげました。
同時に、関内駅周辺開発のリーディングプロジェクトとして都市整備局からも手が上がり、一つの土地に対して、二つの部局から手が上がるという事態になりました。
このような場合「資産活用推進会議」で双方の計画について協議し、オール横浜市として判断していくというルールになっています。
教文の土地についての資産活用推進会議は2015年にたった一度だけ開かれていますが、そこでは方針決定はされず、民間事業者を対象にしたサウンディング調査を行なって事業判断をするとの方向になりました。
ところが、資産活用推進会議では、まだ、この土地に公共施設としての教育機能を含める可能性はあったにも関わらず、この後、二回行われたサウンディング調査では、本市として教育機能を運用していく可能性は一切示されず、完全に民間に売却した上で、民間が建設、民間が運用するものとしての観光集客などの事業可能性の意向が調査されました。
その結果、教育センターにつながる提案が民間から無かったからとして、教育委員会の意向は却下され、都市整備局の意図する民間丸投げ売却と決まったというのです。


http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/tosai/kannaiekisyuhen/kannaiekisyuhen/kyoubun/press171013.pdf

横浜市が主体的に関与する公共事業としてではなく、完全に民間さんの負担で教育センターを作ってもらえないかを探ったけれども、それが無理そうなので、この土地は教育からは取り上げます、という訳です。

これ、いじめって言うんじゃ無いですか??

今持っている土地は取り上げる、かといって、代替案は何も示さない、今建築中の新市庁舎にも、教育センター機能は一つも入れない、さらに、ここ現市庁舎街区においても、公共施設は何一つ入れない方針と言います。

どこまでも教育センターを迷子のままにしようとしているじゃありませんか。

誰がいったい横浜の教育をこれほどいじめているのでしょうか。
林市長なのか、それとも副市長や都市整備局など市長にそれを強いている人たちがいるのか、あるいは民間デベロッパーや政治的圧力、そのようなものが横浜の教育をこれほどいじめているんでしょうか。

市長、市長が2週間前にこの議場で言った「多様な機能を備えた新たな教育センターは必要」という言葉が本当なら、官民連携を探るサウンディング調査でも、横浜市としてこの場所で教育センターを再建する可能性をなぜ示して調査をしないんですか。
2万人近い教職員が日常的に研修を行い、27万人の児童生徒やその保護者たちが年間を通して合唱や演劇やブラスバンドや様々な発表を行う、そして多くの市民が入れ替わり立ち替わり様々な創作の発表や展示を行う、これこそ、教育文化都市横浜にふさわしい賑わいだし、また、仮に民間事業との合築などの手法を取るとしても、事業者にとって、他にはない優良で確実な集客が見込める魅力的なテナントになりうるじゃないですか。
なぜ、その可能性さえ探らずに、みすみす、この一等地を民間へ売り払ってしまおうとするのか、理解できません。

資産活用の検討プロセスとしても、1回の資産活用推進会議のあと、教育と開発のそれぞれのニーズに対しどう優先順位をつけたのか、教育現場の窮状に対し、どう対策するのか、公の会議は行われず、議事録も残っておりません。
関内駅周辺開発において、教育機能を初めから排除して行われたサウンディング調査などは不公正、不透明であり、その結論を持って、この教文の跡地を民間売却するとした方針は認められません。
教文センターと、その土地をどうするかは、横浜市が教育をどう考えているかの象徴です。
同時に、関内駅前という貴重な市民の財産をどう扱うか、
そして、関内関外のまちづくりをどう進めるかの象徴です。
サウンディング調査なんてブラックボックスを作って、見えないすり合わせをして、公募という既成事実を作ってしまう、とんでもないやり方だと、強く抗議致します。

一度手放せば、二度と取り返すことは難しい、貴重な市民の財産である教育文化センターの土地を民間に売り払うための、この議案には、ぜひ、この議場の心ある議員の皆様が、共に反対していただけるよう、お願いして、私の反対討論を終わります。